第三編は「道教の気と鍼灸医学の気の確執」という題です。道教というのは西暦200年ころに結成された中国発生の宗教です。
日本には中国から仏教が伝わるとき、仏教が日本に伝わるときに道教が伝わらないようにしたのではないかとか、日本には神道という神社を祭祀する土着の宗教があり、これと競合するので日本には伝わらなかったといわれています。
それでも道教という現世利益の宗教の教義や手法が神道や仏教に取り入れられ隠れたところで存在していると思われます。
ただ道教は、「気」を大切にしていて、道家思想の気が集まれば生き、気が散ずれば死という考えを色濃く持っています。
そこで、我々鍼灸師のなかでも古典派と呼ばれる、鍼灸師の教科書となっている、『素問』『霊枢』『難経』の中の『素問』に、「酔って以て房に入る」という言葉があって、酔ってセックスすることは長寿には悪いことだという意味のことが書かれている部分があります。
古典派の教科書『素問』は鍼の原点が書かれていて最古の古典といわれています。
ただし、最古といっても、最古の形のまま伝わってきたとはいえません。おおよそですが、2000年以上前にその原型があったとされています。
それが現代に伝わるためには、何人かの歴代の医学を研究する人たちの手によって伝わってきています。
要するに印刷技術が無い時代、手書きで写して伝えるという方法です。それでも原本が全部きれいに移されていて、それが丸々伝わるというようなことは、奇跡としか言いようがありません。
『素問』は医学書という位置付けですが、それでも御多分に漏れず散逸を免れませんでした。それを762年に王冰がそれまでの素問と思われる書物をかき集めて編纂しなおして『素問』としたのでした。
その『素問』が現代に伝わっている『素問』なのです。ただこの『素問』を編纂しなおしたのが王冰つまり道教の道士なのです。
多くの宗教がそうであるように、無垢な人々を自分の宗教に引き込むためには、病の苦しみから救ってあげる技術があれば、信徒をたくさん集めることができます。
道教もそのために、東洋医学、鍼医学を研究することは当然の必然だったのでしょう。特に王冰はその才能が豊富にあったのだと思います。
それでは王冰は純粋に鍼医学のことを思って『素問』を編纂しなおしたのでしょうか。私は違うと思います。道教という教義に沿って、ある程度都合よく改変しているのではないかと思っています。
その表れの一つが「酔って以て房に入る」だと思っているのです。
そして、これにより道教の「気」と鍼医学の「気」の根本思想の違いから、これらの「気」の齟齬がうまれ、確執へのなっていったのではないかと考えたのです。